お兄さんは平和です。
本当に平和です、後悔もしているし反省もしている。
結構前に、このブログにのっけた言葉がある。
ファンス
「逃げたい・・・・・・だと?
確かに、逃げた方が楽だ。
事実私も、逃げたい程この世界に嫌気が差している。
しかし、だからこそ。
私は剣を振るい、この世界の性根を叩き直さねばならん。
逃げたい、何もしたくないと言う私も居る。
が、それは弱い私ではない。
時には、俗に言う 『 弱い私 』 が勝つ事もあるだろう。
しかし、弱い私も勝つ事があるのに、何故弱い私と定義出来ようか?
何故 『 弱い私 』 と呼称しているのに、彼が勝利を収めるのだろうか?
答えは簡単だ。
それは、 『 弱い私 』 なぞではない。
それもひっくるめて、私なのだから。
弱音を吐くな。前に進め。突っ込んで、足掻いて、そして休め。
そう言う 『 強い私 』 も、弱い私も、ひっくるめて私自身なのだ。
何故、同一の私を弱いと定義出来ようか?
何故、同一の私を強いと定義出来ようか?
私には理解できかねる。
貴様は何故、自分自身を弱いと定義する?
時には貴様が勝つ事もあろう。
決着のつかぬまま、時が過ぎる事もあろう。
だからこそ、私には理解できかねるのだ。
同一のモノに、強弱はつけられぬ。
だからこそ、同一の私なのではなかろうか・・・・・・?
書いた自分が言うのもなんだが。
今見返してみて。
ファンスの言っている事が全くわからん。
何故、彼が弱いファンスも受け入れられたのか。
何故、強いファンスと弱いファンスを一緒くたに出来たのか。
私は強い子よ。
めげるけど決して負けないさ。
だからこそ。
何故、弱い自分も認められたのか、理解しかねる。
いや、こういう考え方もいいとは思うんだけどね・・・。
明日こそは小説書こうと思います。